日々[日々の常々]

嫌よ嫌よは、やっぱり嫌なんだと思うよ

生きてりゃどうしたって嫌いな物とか人とか出来事とか、そういった負の感情しか生まないようなものってのがごろごろあったりするけど、何でそういう風に思うに至ったのかってのを考えるいい機会になるな、て考えると、不思議と不快なだけではなくなるな、て思う。

例えば、私は学校で習うような歴史の授業が嫌いなんだけど、その理由を考えると、少なくとも自分では納得できる答えに到達する。

だから嫌いなんだ、と。

時代の流れや歩んできた道を知ることは良いことだと思うし、面白いと思ってる。けど、さも確定した事実のように推測の域を出ないことを覚えさせられたり、不必要なまでに子細な事物を覚えさせられたり。

要するに、ただ書かれたことを記憶すればいい、てのが嫌いなんです。本当はそうじゃないはずなのに。

歴史の流れは本当に面白いと思うし、それはどんな小説等の娯楽よりも魅力的なものではあると思うんだけど、そういうところが相容れない。成績が芳しくなかったから、てのも多分にあるとは思うけど、でも、それはあくまで二次的な理由で、結局は根本に対する不信から来るものなんだろうな、と。

当り前だと思うけど、何故嫌いなのかを明確に理解出来ていない限り、それを嫌いだと公言しては駄目な気がする。少なくとも自分なりに説明出来るようでなければ、嫌いと言った対象に対して失礼だというか。

嫌いな相手(或いは、嫌いな対象を好いている人)がどう思おうが関係ない、てスタンスも別に構わないと思うけど。それは個人の自由だし。

けど、自己を主張するだけじゃ意味がないんじゃないかな、と。負の感情は負の感情しか生み出さない、というか。明確な理由を述べて初めて主張するに足るんじゃないか、というか。

だから歴史が好きな人に理由を聞いても、成程、て思うし、けど私は上記の理由で好きではない、てのも言える。あくまで私は歴史の授業が嫌いだったんだ、と主張できる。全く以て的外れな理由だったとしても。

考え方も捉え方も、人それぞれ。勿論それは大前提として。

でもまあ、トラウマ的な、個人的なことで嫌いになった場合って、上手いこと説明出来ないんだけど。

それがきっかけ、ではなく、それが理由の全て、だった場合は。

だから結局のところ、私が蝶を嫌いな理由は上手く説明できなかったりする。完全にトラウマ由来だから。

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DSを修理に出してみましたこと、の纏め的な

或いは、任天堂の神対応(超対応が良い)は本当かどうかの検証。

 

これまでの話(いや、ここに書くのは初めてなんだけど)。

DSライトが壊れた!

上下を繋げてる蝶番部分が壊れて、危うい状態。ゲーム自体は出来るんだけど、いつばらばらになるか判らないといった雰囲気。ちょっと配線も見えてた。

アホほど下手な絵だけど、壊れたのは画像の場所です。余談ですが、マウスで絵を描くの難しいっす。1

ちょうどAボタンの状態も悪かったので、即修理に出すことに。

それが、先月末の話。

 

で、修理を終えて戻ってきましたのです。

ひと月かかると言われてたので、予想より早かった。嬉しい。

 

見積通り、5000円以下で済みました。

基本は外装だけだし、まあそんなもんかな、とか思ったんだけど、その内訳が!

ちょっとした外装の破損がメインでの修理だったにもかかわらずの、本体交換。

超綺麗な、てか、新品になりましたのですよ。

申し訳なさげだったけど、むしろこちらこそ申し訳ないっす、と。5000円以下で新品になってしまうなんて思わなかったです、はい。

液晶保護シールを貼ってたんですが、それも丁寧な説明と共に、綺麗に剥がして戻ってきました。また貼れそうな勢い。超丁寧な扱いだったに違いない、と。

すげー。

しかも充電完了状態での受け渡しで、すぐにゲームが出来ました。嬉しい。

 

正直なところ、任天堂の神対応ってのは、都市伝説とか噂でしかないんだと思ってたのよ。それなのに、それなのに!

結論。神対応は本当だった。

ブラボー任天堂!

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あつはなつい的な言い回しを考えてみる

冬は寒い。

同じように入れ替えたら、さむはふゆい。

何となく、ちょっとだけ片仮名を交えてみると、サムはふゆい。

更に、音を伸ばしてみたりすると、サムはーふゆい。

こうなると、もうどうにでもなれって感じなので、サムハーフゆい。

英語っぽいところを直してみると、some half  ゆい。

もう意味不明です。

 

何にも書くことがないからって、さすがにちょっとカオス過ぎました。

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思考の糸、ぐるぐる嗜好

何事でもそうだけど、折角きっかけ(或いは、興味)があったんならば調べないと損、だと思う。

てか、そういうのを別に良いや、て放置してたら何にも変わらないよな、と。

まあ、変わる必要があるのかと問われれば何とも言えないし、変わったかと問われれば何も変わってないとしか言えないんだけど。

そんなわけで、やっぱり学問としては好きになれないけど、読み物(思想は嗜好だと思う)としては、哲学って面白いよな、という話。十人十色の思考体系を味わうのは面白いし、興味深い。本当に。

漠然としたものに名前を与える(=存在を与える)ってのは、すごいことだと思うし。

ただやっぱり、答えの存在し得ないことってのは、学問としては捉えられないってか、その辺はただ単に私の頭が固いんだろうけど。うん。存在し得ないってのも、個人の主観に他ならないわけだし。

てか、自己肯定のために他人の作りだした何かを使う、てのが好きではないのかもしれない。既存の何かに縋って確立するような個は、擬似的なものでしかないというか。

でもまあ、何にもないところから個を生み出せているとは、微塵も思ってないんだけど。

影響と依存は違うっていうか。考えることを放棄しているように感じてしまうというか。

そんな感じ。

とは言え、考え方としてはなるほどと思うし、面白いと思ってる。これも本当。

これだけが絶対で、これだけが正しい、て言われたら、さすがに反発すると思うけど。妄信はいかんし、好かんのですよ。何事においても。

なんかもう、何が書きたかったのか判んなくなっちゃった。

とりあえず言えることは、哲学否定じゃないよ、てこと。擬似唯物論者の戯言でしかないわけだし。

目に見えるものが全てじゃないけど、目に見えるものを尊重したい。自分は自分で、他人は他人。

結局は、それだけのこと。

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まあ、ネタがないと言うことで

座右の銘メーカーをやってみた。

B1bba1

なんていうか、激しく格言。素敵過ぎる。

そこにシビれる、あこがれるゥ!

 

脳内メーカーはこんな残念な結果だったのに。

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台風一家の青空さん

台風一家って、ボケとしてはあまりに使い古されてるんだけど、つい使いたくなる魅力を感じる。

何故だろうと考えてみたら、私がベタなボケを好んでいるから、て結論が出た。

ベタにベタを重ねると激しくシュールになると思う。そして私は、明後日の方向を激走するようなシュールな笑いが大好きです。

だから、要約すると上記したように、ベタを好む、てなるけど、その理由は逆だったり。

設定とかシチュエーションとか、そういう根本部分における妙がたまらなく好き。そのくせ、小ネタばんばん挟むようなのも結構好きだったり。

要するに結局、私はゲラなのですよ。

でも、ゲラって最強だと思ってる。何事でもそうだけど、自ら楽しみを見出せないのって勿体ないし残念じゃん? だからそういう意味で、最強。

食わず嫌いほど勿体ないことはないわけで。そらまあ、合わないなあと思うものもなくはないけど、それを否定するのは狭量過ぎるってか、私が残念、て思う。くそうこれで笑えなかったぜ、的な。

 

つっても、台風一家で笑えるかと問われると、笑えません、て答えになるんだけど。

 

P.S.

がーすぱ開催中です。

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台風とタイフーンって似てるよね

台風は言わずもがなだけど、タイフーンって正確にはどういう意味なんだろうと思う。

調べてないです。

でも確か、熱帯低気圧関係。自信は、ない。

そんなわけで、何となく秋らしくなってきたような気がしなくもない今日この頃なんですけれど、秋と言えば、○○の秋。

食欲だったり性欲だったり睡眠欲だったり、何故か人間の三大欲求を列挙してみたけど、知識欲とか運動とか、そういった方面の方がそれっぽいかもしれないと思ってみたりして。

まあ、私の秋の夜長は、専らゲームなんですけど。

で、結局何を書きたかったのかというと、台風とタイフーンの関係って、犬小屋とケンネル(犬寝る)みたいなもんだよね、てことだったり。道路とロードも可。

こういう微妙に似通った言語の存在を気にするたび、バベルの塔的なものを連想しつつ、たぶん同時多発的な進化の方なんだろうな、と思う。もしくは金平糖的な、外来語由来の何か。今も昔も海は繋がってんだから、ないこたない、はず。

 

唐突に話が変わりますですけれど、がーすぱ開催中なのです。

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あまりに炸裂ドリーミングドリーマー

カテゴリを創作にしようか迷ったけど、こっちで。

ビコーズなぜならば、別に創作関係じゃなかったから。

使えそうな気がしなくもないけど、おかしなところ満載ですし。

 

で、まあ。

久々に変な夢を見たのです。

 

学園物超能力バトルファンタジー的な内容の。やや不条理入ってる感じ。

主人公は、ちょっと悪知恵の働く極普通の高校生男子。超能力なんて持ってない。でも学内には超能力者が多数いて、それでイザコザが絶えない日々。そんな謎設定。

能力者ってのも万能じゃなくて、例えば、空を飛べるとか、空気中に漂う思考を読み取れる(たぶんテレパシー)とか、1人1個って決まってる。しかも共通の弱点があるけど、普通の生徒にはない運動神経を持っていたりもして。見分けるポイントはそこだったり。

授業中に屋上から人が飛び降りても、ああ能力者の諍いね、で済んじゃうような環境。当然死人は出ないのですけど。

で、普通の人間と能力者が一緒に生活を送ってるんだけど、能力者の中にも先天的な人とそうでない人とがいて、そのふたつの派閥が争ってるわけなんです。どうやら。

後天的能力者は、謎の組織(たぶんショッカー的なもの)の改造を受けてて、学園の制圧を足がかりに世界征服を目論んでいたりして。かなり大仰な。

先天的能力者はそれを阻止するってのでなく、ただ単にあいつ気に食わねえ系の理由で争ってる。だけどそのおかげで何とか均衡は保たれてる。そんな感じ。

で、まあ。お約束的展開として、後天的能力者のかなり強い奴が転校してくるのです。主人公のクラスに。これが美少女ならいかにもな展開(ツンデレ予備軍)が待ってそうなのに、そうじゃないのが何とも。クール格好いい眼鏡男子でした。なんかちょっと残念。

このあとは怒涛のお約束展開なんですけど、主人公がちょっとだけ活躍(共通の弱点を突くような方法で)して、事態が上手く纏まりそう、てなところで目が覚めちまいました。

ちなみに主人公には幼馴染みの先天能力者(当然、美少女)がいたりして、どうかと思うのですけど、王道ラブロマンスが待ってそうな予感がひしひし。

ベタにベタを重ねてベッタベタ。

 

全体的にどっかで見たような設定だったり展開だったり、小説的なものにしても面白くなりそうには思えないんだけど、それなりに煮詰めれば使えるような気がしなくもない私はただの貧乏性ですかそうですか。

とりあえず自動的な死神やスタンドと呼ばれる能力を持った人々は出てこないと思う。たぶん。黒づくめで「イー!」て言う戦闘員も。

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敢えて語弊のある言い方をしてみる

私、昔、新興宗教にはまってました。

 

よし。充分な誤解を与えられた。

なので、本当のことを。

私、昔、新興宗教に(ついて色々調べることに)はまってました。これが正解。

なんでこんなことを急に、というのは、某大手ネタニュース系テキストサイトが久々更新されてたのを見て、思い出したからです。

ちなみに、私は広義の意味での無神論者です。ええ。間違いなく。

良し悪し云々は抜きにして(と言うより、そういうのを語るのはタブーに近いものがあるような気がするし、主観で考えざるを得ないので)、系譜やら相関性やらを知るのは、なかなかに興味深いものがあります。なるほど教義のポイントはそこなのね、とか。そういうの。

真面目に信仰している方に対してひどく失礼な行動かもしれないけど、外野から種々様々なそういうものを比較するのは面白いです。かなり。矛盾点を突く、みたいな楽しみ方も出来なくはないけど、それは個人的ににやにやしてるので書かない。時の権力者に都合の良い云々(これは新旧問わず)も同様。

ひとくちに新興と言っても種類はそれこそ山のようで、所謂カルト扱いされているようなものだけでも両手で数えきれないくらいあって。

でも何て言うか、それなりの共通点は見え隠れしてるな、と思ったのです。それはもう、新旧問わずなんだけど。

私は神道アミニズム系統の考え方と唯物論を混ぜたような宗教観を持っているので(ワケ判んないと思うけどそんな感じ)、唯一絶対の神がいて人間を創造したのだ、という考え方が出来ない人なんですけど、でも、宗教ってどれでもそうだけど、神(唯一だったり複数だったり宇宙人だったり現人だったり)がいて人間がいる、が基本ラインんなんだな、と。それは何となく、判る気がします。

その人の信じる神を信じない人=異端、て考え方さえしないでくれれば、害悪にはなり得ないのに、とか。要するにそんな感じです。私が善悪の二元論が嫌いな理由は、この辺なのかもしれない。

私は神だ、的な猛烈中2病を炸裂させるのも構わないかな、と。自分の世界の中心は自分なんだから、自分の世界の神は自分だと思うし。ただ、万人にとっての神だとは思わないし、思えないんだけど。

だから私は宗教自体は嫌悪してないし、むしろ興味の対象として存在しているのもありだと思ってるんだけど、単純に、押し付けないで欲しいな、とは思う。

信仰の自由ってのは、自分のだけでなく、他者のも、なんだからさ。

つっても私、勧誘されたことないけど。誘っても無駄オーラを出してるらしい。どうやら。

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1+1=2の証明とか

そういうのって、すっげ面白い(興味深い、の意)と思う。

何処までを既知の定義として捉えるかによって答えが幾らでも存在し得る気がする。

けど、私は数学的素養があんまないから、そういう捉え方すらすっげ間違ってるような気もして。

だからこそ、面白いっつうか。

数学って突き詰めると哲学でしかないし、論理と定義で成り立ってるだけ(ものすごい語弊があるけど)だし。

だから例えば『+』を別の意味として定義づけちゃうとそれだけで無茶苦茶な数式にも見えると言うか。通常の、加算の記号ではなく捉えると、ね。いや実際そういうのもあるけどさ。一応。

そもそも数字を普段使っているものと同等の記号として捉えていいものなのか、とか。例えば1が一でありoneである、という前提を取っ払っちゃうと、それはもうただの意味をなさない文字列(というか記号)になり下がっちゃうな、とか。

自分で書いてて判んなくなってきた。

文字とかもそうだけど、それに意味を与えることが出来るのが、人間の凄みってか、人間の人間たる所以かな、とか思うわけです。はい。

普段使ってる全ては、それなりに体系化された定義の元、混乱もなく使えてるんだな、と。言葉も色も数字も全て、定義されているから安心して(誤解なく他人に伝える術として)使える、というか。

全然上手くまとまんないけど、そんな感じ。

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