嫌よ嫌よは、やっぱり嫌なんだと思うよ
生きてりゃどうしたって嫌いな物とか人とか出来事とか、そういった負の感情しか生まないようなものってのがごろごろあったりするけど、何でそういう風に思うに至ったのかってのを考えるいい機会になるな、て考えると、不思議と不快なだけではなくなるな、て思う。
例えば、私は学校で習うような歴史の授業が嫌いなんだけど、その理由を考えると、少なくとも自分では納得できる答えに到達する。
だから嫌いなんだ、と。
時代の流れや歩んできた道を知ることは良いことだと思うし、面白いと思ってる。けど、さも確定した事実のように推測の域を出ないことを覚えさせられたり、不必要なまでに子細な事物を覚えさせられたり。
要するに、ただ書かれたことを記憶すればいい、てのが嫌いなんです。本当はそうじゃないはずなのに。
歴史の流れは本当に面白いと思うし、それはどんな小説等の娯楽よりも魅力的なものではあると思うんだけど、そういうところが相容れない。成績が芳しくなかったから、てのも多分にあるとは思うけど、でも、それはあくまで二次的な理由で、結局は根本に対する不信から来るものなんだろうな、と。
当り前だと思うけど、何故嫌いなのかを明確に理解出来ていない限り、それを嫌いだと公言しては駄目な気がする。少なくとも自分なりに説明出来るようでなければ、嫌いと言った対象に対して失礼だというか。
嫌いな相手(或いは、嫌いな対象を好いている人)がどう思おうが関係ない、てスタンスも別に構わないと思うけど。それは個人の自由だし。
けど、自己を主張するだけじゃ意味がないんじゃないかな、と。負の感情は負の感情しか生み出さない、というか。明確な理由を述べて初めて主張するに足るんじゃないか、というか。
だから歴史が好きな人に理由を聞いても、成程、て思うし、けど私は上記の理由で好きではない、てのも言える。あくまで私は歴史の授業が嫌いだったんだ、と主張できる。全く以て的外れな理由だったとしても。
考え方も捉え方も、人それぞれ。勿論それは大前提として。
でもまあ、トラウマ的な、個人的なことで嫌いになった場合って、上手いこと説明出来ないんだけど。
それがきっかけ、ではなく、それが理由の全て、だった場合は。
だから結局のところ、私が蝶を嫌いな理由は上手く説明できなかったりする。完全にトラウマ由来だから。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)



最近のコメント